とある天才、否、狂科学者と呼ばれた者によって造られた、少女型アンドロイド:day。
彼女の仕事は、日々生じては消えてゆく、ありとあらゆる出来事やさまざまな情報、その他記録しうるものすべてを詳細に記録し、必要に応じて出力すること。
それゆえ、彼女に“ココロ”は、必要ない。
・*・*・*・*・*・
「――day、彼の国の紛争はどうなった」
手元の小型端末に、忙しなく文字を入力しながら、不意に壮年の男が呟いた。重厚な絨毯の敷かれた薄暗い部屋に、低く重たい声が溶けて消える。
「…報告いたします」
ゆっくりと一拍の間を置いてその問いに答えたのは、まだ幼いともとれる、鈴のような声だった。
「…我が国の支援していた民族側が勝利。彼の国との貿易も、暫くはこちらの有利に進むでしょう」
「うむ。…見込んだ通りの結果だな」
その報告に満足したように男は頷く。それを、dayは無感情に眺めていた。
dayはアンドロイドだ。情報の収集と蓄積に特化し、その能力に置いて、当代最高峰と言われる、機械人形。だからdayは、自分のローズクォーツの瞳にも、桜の髪にも、真っ白でふわふわしたドレスにも、関心を示すことはない。
「day」
短く呼ばれた名に、dayは顔をあげた。男は彼女の方を振り向くこともなく、淡々と口を開く。
「私は会合に出る。引き続き、此方の有利不利に繋がりそうな情報はすべて集めて整理しておけ」
「はい」
上着を羽織ながらの男の指示に、dayは頷いた。つまりは全ていつも通り。そうであることを疑わせない口調だった。
男が屋敷を出ていくのを見送ったあと、dayは、昨日、いや、過去全ての行動をなぞるように、自分に与えられた一室へ滑り込んだ。
巨大な部屋の9割を占めるのは、dayの母機たる巨大なコンピュータだ。本来は『母機』と呼ぶより、重要なデータのバックアップや、dayへの動力供給を行う『サブ機』と呼んだほうが正しいのかもしれないが。dayの主たるあの男が、コレを母機だと呼ぶからそう呼び習わしているけれど。
「…起きて」
そのひとことが、起動キー。低いような高いような唸りをあげて、dayの分身が目を覚ます。青白い光が、薄暗い部屋を照らした。
その様子を見届けて、dayはディスプレイに囲まれたソファーベッドに腰を下ろす。すっと手をかざせば、それらのディスプレイに、新規の情報が文字の羅列で示されるはず、だった。いつも通りに。
けれど。
『…あ、あれ? 変なとこに繋がっちゃった?』
ディスプレイに表示されたのは、ビデオ通話の画面と、それを覗き込む少女の姿だった。黒い髪が肩からこぼれ落ちて画面の端に揺れる。
思わず動作を停止するdayをよそに、画面の向こうの少女は、きらきらとした瞳でディスプレイ越しにdayを見詰めてきた。
「……」
『えっ、あっ! 待って、切らないでよ!!』
無言で通話を切ろうとしたdayを、からっとした、すこし男勝りな気のある声が押し止めた。
勝手に繋がったのだ。勝手にこちらが通話を切ろうがどうしようが問題はなかったはずなのだが、どうしてかdayの手は素直に膝の上に戻る。
ひとつ息を吐いて、どうやら長時間の連続稼働で籠ってしまっていたらしい胸部の熱を追い出し、dayはローズクォーツの瞳をもう一度ディスプレイに向けた。深い夜色の瞳が笑う。
『あたし、“サヨ”って言うんだ。なんだかよくわからないけど、せっかくの縁だ。ねえ、あんたさあ、あたしの友達になってよ。たまにこうやって話すだけでいいからさ!』
「…」
きっと、断られるなどとは考えていないのであろう満面の笑みに、dayは咄嗟に返すべき言葉を失った。
ヒトはこういう時、どう言ったか。
虚を突かれる。面喰らう。魂削る。
どれも正しいようで、どこか違う。
もやもやとまたも籠りはじめた胸部の熱に、どこかショートしていないだろうかと若干の不安を抱えつつ、dayはサヨと名乗る少女をまっさらだった個人連絡先に登録する。通知が向こうにも行ったのだろう。サヨがひときわ嬉しそうに笑った。そして、思い付いたように声をあげる。
『そうだ。ねえ、あんた、名前は?』
その問いに、答える義理は無い。むしろ、答えてはならないはずだと頭部に埋め込まれたメインコンピュータが答えを弾き出す。しかし。
「…day」
結論を結果が裏切った。薄青い部屋に溶けた自分の声に、dayが硬直する。吐き出した声は戻らない。
刹那、夜空に綺羅星が瞬いた。
『“デイ”かぁ! ありがと、デイ。よろしくね!』
「…はい」
小さく頷く。綺羅星から目が離せない。
誰かが来たらしい。画面の向こうで、サヨがはっと背後を振り返った。その一秒後に、またねと言わんばかりのいたずらっぽい笑みを残して、画面が落とされる。
茫然と、ただただdayはその画面を見詰めていた。
予感がした。
もう、戻れない。
そんな予感が。