その日、ひとりの男が息を引き取ったことが、ユーサの人生を変えた。
その男はユーサの叔父にあたる人物で、優しげな風貌をした、穏やかな人だった。随分とユーサを可愛がってくれたように思う。
(ガーラおじさん…)
ユーサは大きな黒曜石の目に涙をいっぱい溜めて、棺の前に立ち尽くしていた。堪えきれずにうつむけば、やわらかな黒髪が頬にかかる。頬を伝う涙が、雪の上に零れ落ちては、凍った。
そこかしこから、啜り泣きや嗚咽が聞こえてくる。それに紛れて、酷く苦々しい声が聞こえてきた。
「…まだ十年と勤めていないだろうに…随分と早く逝ってくれたもんだ」
「まったくだ…ただでさえ、戦記司になれるやつは少ないというのに」
戦記司。その言葉に、ユーサは驚いて顔をあげた。
戦記司とは、戦場に出て、戦に関するすべての事を記録する役人のことを指す名称だ。
脳裏に、穏やかに微笑む叔父の顔が浮かんでは消える。
あの優しげな風貌の叔父が、戦場に出ていたのだろうか。そういえば、つい先日終わったという、国境での小さな戦。まさか、その戦のせいで叔父は死んだのだろうか。
思考が四方八方を駆けめぐる。頭のなかで紡ぎ出される言葉の渦が、白熱した光の珠になった、そのとき。ユーサは肩から斜めに提げていた鞄から、小さな手帳を取り出した。筆は要らない。ただただ、書かなければ、という衝動に任せて、ユーサはその真っ白な紙面に指を滑らせた。
周囲が息を呑む。
ユーサの細い指先がなぞった白い紙の上に、ゆらゆらと黒い文字が浮かび上がっていくのだ。
周囲のざわめきに気付かないまま、ユーサは指を滑らせ続ける。そして、真っ白だった紙面が、黒々とした細かな文字でいっぱいになると、ほう、と細く長い息を吐き、糸が切れたように崩れ落ちた。
「…ゆ、ユーサ!」
「ユーサちゃんっ」
はっと気を取り戻した親しい者たちが慌てはじめる。それを、少し遠い場所から眺めていた男たちの方から、驚きに満ちた声が漏れた。
「…“言葉に魅入られた子”だ…」
「ああ…こんなに近くにいたとは…」
先程、苦々しい呟きを吐き出したのと同じ声が、思いがけない幸運を拾ったような色に染まる。
男は、にやりと口端をつり上げて、言った。
「次の戦記司は、あの娘だ」
その声色は、ユーサにとって残酷な響きを帯びていたことを、彼女はまだ知らない。