[芙蓉ーどこにいるー?!]
[どこなの芙蓉ー…?]
黄昏時と呼ばれる時間。
道端の背の低い藪の陰で、
子供が抱き抱えるのにちょうどいい大きさのそれらは、
[ふーようーっ!]
[芙蓉ー…]
「ここだよ、アルス、モルス」
ガサガサと藪を掻き分ける音がして、
節を付けて叫ぶアルスと、
[芙蓉、いたー!]
[芙蓉、おつかれー!]
「ありがと。ふたりとも、いい子にしてた?」
きゃらきゃらと笑いながら飛び付いてくるふたりを抱き締めて、
そのとき。
「…なぁに、あの子」
「あれ、芙蓉でしょう? 今日、広場で踊ってた…」
「どこに向かって話してるのかしらね…」
そんな会話が、芙蓉の背後から聞こえてきた。
くすくすと、嘲笑うような笑い声も聞こえてくる。
芙蓉の背に、幾つもの視線が突き刺さった。
「本当にね…アヤカシの仲間かしら?」
「有り得なくは無いでしょう? だって、『妖舞い』ですもの!」
「まぁ、こわい!」
そんな言葉たちに、芙蓉は小さく唇を噛んだ。
『妖舞い』
それは、軽やかでありながら、
加えて、
アルスとモルスは妖精だ。
普通の人間には、この子達は見えない。
つまり、芙蓉は端から見れば、虚空話しかけていることになる。
往来を行くほとんどの人間からすれば、
じくじくと、胸の奥が小さな痛みを訴える。
大切な友人達をワルモノのように云うヒト達が、
黙り込んでしまった芙蓉を心配してか、
[芙蓉、きょう、いやなことあったのー?]
[芙蓉、おしごとでこわいことあったのー…?]
その声も、一般人の耳には届かないはずのものだったが、
芙蓉は眉を下げる。
「今日はね、お祭りで踊ったの。みんな、
幼子に言い聞かせるような口振りでそう言うと、
「さ、おうちに帰ろっか」
[かえる、かえる!]
[芙蓉とかえる!]
やはりきゃらきゃらと笑うふたりとそれぞれに手を繋ぎ、
…の、だが。
ずぞぞぞ…と。
音が、した。
「……なんの、音…?」
気づけば、往来から芙蓉たち以外のイキモノが消えていた。
ずぞぞぞ…という、なにかが蠢くような音は、
[なんなのー…?]
モルスが不安げな声をあげた。
[こわいのー?]
普段は悪戯なアルスの声も、ほんの少し怯えを含んでいる。
アルスとモルスを抱き上げた芙蓉の心臓が、早鐘を打ち始めた。
何かがおかしい。
「アルス、モルス、走るから…しっかり掴まってて」
そうささやくと、芙蓉は家へと続く道を走り出す。
その瞬間、
「あ…」
思わず振り返って、芙蓉は息を呑む。
そこには真っ黒な粘液を垂れ流しながら進む、
[なにあれ?!]
[なにあれ…っ]
アルスとモルスが怯えて芙蓉の首元にすがり付く。
早く逃げなければと思うのに、足がうまく動かない。
それでも無理矢理動かしていた足が、小さな石にぶつかって、
「…きゃっ…!」
[芙蓉…!!]
[…っ!!]
砂利道で勢いよく転んでしまった芙蓉に、
「…痛っ…」
急いで立ち上がろうとするが、
ず、ぞぞぞぞ、ぞぞ…と。
不気味な音を鈍く響かせて、巨大な黒い塊が、
「…っ」
凍りついたように動けなくなってしまった芙蓉は、
刹那。
「…あぶないよ」
ふわり、と。
頭上から降ってきたそんな言葉とともに、
驚愕に目を見開けば、あの黒い化け物は消えていた。
往来の喧騒が戻ってくる。
「なんだったの、あれ…」
アルスとモルスを抱き締めたまま、芙蓉は道端にへたり込んだ。
その首元に、ふたりが抱きつく。
[どろどろしてたのー!]
[こわかったのー…]
「よしよし、怖かったね」
べそをかくふたりを慰める穏やかな声はしかし、
「……え…?」
芙蓉が呆然と声をあげ、アルスとモルスはぽかんとして黙り込む。
思わず顔をあげれば、眼鏡の奥の、
白の衣を纏った、黒髪短髪の、優しげな男の人。
「…見え、るの…?」
この子達が。
そんな芙蓉の言葉に青年は曖昧に微笑んで、
「挫いてるでしょ、右足。見せてごらん」
「え、えっと…」
芙蓉が戸惑っている間に、
「これでも医術師の端くれでね」
そう言って彼は笑う。
そして、
「あの、これ…」
「趣味で作ってるものなんだけど、あげるよ。御守り」
きみはどうやら、魔に好かれそうだから、と。
そう言ってやはり笑う彼は、最後にひとつ芙蓉の頭を撫でて、
[変なヒトー]
アルスがぼそりと呟く。
モルスもこくこくと頷いていた。
芙蓉はなにも言えずに、
くらい色の革紐の先には、牙の形をした、紫水晶。
「御守り…」
[おまもり?]
アルスが興味津々に覗き込んでくる。
つられて覗き込んだモルスが感嘆の声をあげた。
[きれいねー!]
「うん、ほんとにきれい」
魅入られたようにそう呟いて、芙蓉は紫水晶を両手で握り締めた。
「……医術師さん…」
なにかが、変わってしまうような気がしていた。
【二者択一】
わたしには、あの子達だけ。
あの温もりさえあれば良かった、はずだった。