序章 ー朔ー


 


「…朔」
広く暗い部屋の中、たったひとつしかない灯りに照らされた玉座から、重たい声が響く。
名を呼ばれて、一歩前、暗がりの中から薄明かるい場所に出たその人物は、纏った漆黒に似合わぬ、柔らかな笑みを浮かべていた。
「なにか」
ふわりと紡がれた声は、暖かい。
玉座に座る、傲慢な顔をした男は、忌々しげに表情を歪めた。
「貴様、またも標的を逃がしたな…?」
「こちらに手出しはできぬように細工はしております。なにか問題でも?」
唸るような男の声に、朔は挑発的な笑みで返した。
男は舌打ちをして、目を眇める。
そして、おもむろに口を開いた。
「…朔、一族の名に於いて汝に命じる。目標を抹殺せよ。…標的を逃がすこと、此度は決して赦さぬ。逃がせば、汝が命を以てあがなう事になると心得よ」
そう言って手渡された紙に書かれた情報と標的の写真を見て、朔は目を見開く。
しかし、それはほんの一瞬の出来事で、次の瞬間にはなにもなかったかのようにその紙をコートの内ポケットに仕舞い込んた。
「…御意に」
そう答えて、朔は身を翻す。
笑みすら浮かべて歩き出す朔の後ろ姿を、男は苦々しい顔で睨み付けていた。